栗の渋皮煮に想う


111010_0950 大人になってから食べるようになったものは結構ある。栗・芋・カボチャもその類のひとつだ。
好き嫌いNGなしつけだったこともあり、「残す」ことはなかったが、すすんで箸をつける、ということはなかった。

それがいつからか「あぁ、秋の味だな」なんて、ちょっとオサレ気分で食べるようになった。

今 じっくり思い返してみると、たぶんゴマを食べるようになったのと同時期かもしれない。
同じくゴマもあまり好きではなかったのだけども、上京し仕事をするようになり、いわゆる”いい店”で食事をしだして――もっぱら最初はごちそうになるばかりだったが――、本当に美味しい 練りゴマやら(練りゴマ豆腐)を口にするようになってからだと思う。

閑話休題。 じゃあ、それが栗の場合はどうだったかというと、たぶん どなたかのおみやげで ものすごく美味しいモンブランを食べたからなのだと思う。その頃は、食事はなんでも撮影するという奇癖がなかったため、いつ誰からどこの店のモンブランをいただいたのかは、今となっては定かにすることはできない。
――ただ、ものすごく丁寧で上品なモンブランだったことは鮮明に覚えている。クリーム部は安いモンブランとは違い 粉っぽくなく(苦笑)、栗も丁寧に処理されていて、砂糖の嫌な甘さや悪い脂のムカムカや、パサパサの台なんてのとは、まったく別物だった。
ちょうどその年齢頃に「量より質」に、ずいぶんと生活も変わりつつあったことも大きいかもしれない。

子供の時分は、「とかく食べる食べる」だったけど、成人してからは「血糖値低下と空腹感を抑える」ためにおやつを食べることをなんとなーく体得していく(もちろん満足を得るためでもある)。
それとあわせて、薬味やら苦味やらを理解するようになったことで、渋皮煮の渋さでなく甘さを感じることができるようになったのではないかと感じた。

ふらふらと書いてしまったが、結論としては渋皮煮は大人のおやつだなぁということで。
ああそれから、形がしっかり残ってるのも好きだし、どろどろのも好きである。
ちなみに、今回ドロドロなものは、こしあんっぽくしてラップに小分けにされた。

お茶が美味しい。

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