high angle view of a man putting orange paper into binding machine

【絵本】”ルリユールおじさん” 心の余韻の深い絵本


今、失われつつあるもの。

あらすじ

 ソフィーのなんでも載ってる植物図鑑のページがはずれてボロボロになってしまった。そこでソフィーは街のルリユールを探しに出かける。
 ルリユールおじさんは本のお医者さん。ボロボロになった本を綺麗にまとめなおしてくれるのだ。ソフィーは自分の大好きなアカシアの話をしながら、ルリユールのいろいろな作業を横で見る。数日後、お店の軒先に新しくなった自分の図鑑が飾ってあったのだが……。

以下ネタバレ注意

かんそう

 この絵本をみて「あぁ今こういうのって失われつつあるなぁ」という寂しい感じが。
 とても本(植物図鑑)を大切にしているソフィーという女の子。アカシアが大好きな彼女の植物図鑑はそのページが開きやすくなっていたに違いない。
 そんな彼女のくたびれた図鑑がボロボロになってしまった。彼女の街には、ルリユール――本の仕立て直しをする仕事だ――がいたんだけど、果たして現代社会の私たちの街にそういった職業の人、そしてそういったものの考え方や慣習は残っているのだろうか?
 ルリユールの仕事場では、ソフィーはアカシアの話をしながら、その仕事を傍で見ることになる。実際にそのプロセスがイラストとして描かれているので具体的に仕事の内容がわかるのも楽しい。
 途中、ルリユールおじさんの回想(これも味がある)を挿みながら作業は終了し、糊の乾燥を待つことになる。数日後、ソフィーはルリユールおじさんの仕事場のウィンドウに飾られた自分の新しい図鑑を見つける。それは、自分の大好きなアカシアのページが表紙になっていたのだ。こうして、ソフィーの大事な植物図鑑は、ソフィーだけのもっと大事な植物図鑑になったのである。大量生産やコストの削減が叫ばれているけども、こういった人それぞれへの思いやりやカスタマイズといったものまで、果たしてなくしてしまってよいものなのだろうか。世の中は便利になってきたけども、コモディティー化(商的大量生産)やメディアの普及、マニュアル化の陰で失われつつあるものがあることを改めて意識したい。
 この本の「そしてソフィーは植物学者になった」という結びは、とても深い含みで、この本の語りかけをより一層深いものにしている。

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