【随想】カニすきにサービス業を想ふ


111203_1905 カニすきが夕飯だった。

子供の頃は、ベットベトになるのもかまわず、身を幾分散乱させながら、黙々と長時間食べ続けていたものである。

今でもそれはカニは好きだ。
が、変わったこともある。 食べづらいのが気になるようになったことである。

今回はハサミ部分にまったく切れ目を入れていなかったのだが、いざ食べるときにハサミで割れ目を入れるのが億劫だなあと意識した。
で、思い至った。

ああ、カニ料理を美味しくいただける店というのは、素材や調理だけでなく、こういった「食べやすさ」にも気を配っている店なんだなぁ、と。
ふだん、カニを食べに店に行っているときは、身の詰まり具合や味噌やらにもっぱら気をとられてしまって気づかないんだけど、家カニスキをして実感甚だしく、である。
今思い返してみれば、カニを美味しくいただいてきた店というのは、大変食べやすかった記憶ばかりである。もちろん、素材も味も見た目も素晴らしかった。

そういう ともすれば気づかないかもしれないところにまで丁寧に手を加える心遣い、今となっては謝意や敬意となって私の中に置き換わった。

ああこういうのも職人ワザといえるのかもしれないな、と思うと共に今後の日本社会にも在りつづけて欲しい心だなぁと強く感じた。
素材やサービスがコモディティ化されて、値段や広告では個人店はFC店には勝てない図式は確としてきている。
だけど、こういった「心遣い」は「心ひとつ」で乗せることができ、コストが発生しないものだから(教育としておこなうなら別だけど)、これから飲食店だけならずサービス業(や営業業務)における大きな付加価値となるのではないだろうか。
ロプションクラスとはいわないけど、業務に支障ない範囲で個人個人がひとつ気づいたことをプラスしておこなうように啓発してみるといいかもしれない。

だらだらと書いてしまったけど、やはりかにすきは美味しい店で食べるのがいいな、ということで。

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