【わんこ】さよなら。ミニチュアダックス。


 周囲からわんこのことを3回尋ねられたらエントリーしようと思っていた投稿。

5月3日、昨秋なくったSORAに続いて、老ミニチュアダックスのRYUが逝きました。17歳、人の齢にして92歳。大往生。

 昨年末くらいに、おそらく胃拡張からの捻転らしき発作が出てかなり危うかったので次になったらーーと覚悟はしていました。

 痛みがあるようだったのでベッドに横にしてあげたら、転がったまま歩を進め、終にそこから起き上がることはありませんでした。
 晩年は吠えることもなかったけど、最期に今まで聞いたこともない苦しそうな声を3度あげ、看取ってくる人間がそろったことがそろったのが確認できたのでしょうか、ゆっくりと目を閉じて眠りにつきました。


わんこがいなくなって

 歳が歳だけに、体の衰えもあって、ここ1・2年かなという心の準備はあったので、それなりに納得して送ってあげることができたと思う。覚悟はしていただけに、泣いた。いや、泣くことができた。
 悲しいけども、17歳といえば大往生だしね。

 比べるものでもそうすべきものでもないのだけど、心の喪失感といった観点からは先のわんこの旅立ちのほうがダメージ大きいんだな、とあらためて感じた。ヤツは急だったし、今もまだ傍にいるような気さえする。


メメント・モリ memento mori

 価値観が大きく変わった。
 人生観は死生観に。
 今後の時間をどう費やすか。

 犬がいたから家にいたようなもので、これで今の家に居続ける意味はほとんどなくなった。どこぞに行くのもよいかもしれないな、と思うことが増えた。
 そして自分の時間はーープライベートも仕事もーー人生の半分を過ぎている。時間を投資することについて、今までより深く考えてみよう、いやそうしなくちゃいけない気がした。

 ともすれば”、そうすることは自分勝手”だと他人の目には映るのかもしれないけど”自分中心”(自己中心ではない)で、一度 いろんなものを整理する頃合いになっているのでは、と思っている。
 なにより自が盤石でなければ、他によいものは出せないだろうし。


 あと1つあるんだけど、ここでは書くべきことではないので、その存在だけをここに記して、この投稿は締めておく。

ありがとう。おつかれさま。そして、さようなら。

2014年頃のRYU

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