ぽっかり空いた穴は依然そのままだけど、
少し落ち着いた。
まだ会話のネタにはできそうにないけども。
数えるとまた滲んでくるので、そうしないけどそろそろ四十九日くらい。
仏壇。

当日・翌日と茫然自失としながらも、なにか形に留めておきたいと感じ、すぐに仏壇を手配した。
不精な自分ながら、毎日お供え中。

お世話になっていたトリマーさんからもお花を頂いた。元気だったSORAによく合うイエローで。ありがとうございます。
自分なりの送りだし方を考えた。
帰ってくるでもないし、ずっとうつむいているわけにもいかない。悲しいながらも”悪い”節目にはしたくないなと思い、自分なりにできる送りだし方はないかと泣きながら考えた。
写真だ。
あえて時間がすこしかかるnohanaにオーダー。
フォトブックにおさめる数枚を選ぶために膨大な枚数の写真をふりかえり、ストーリーがつながるように並び替えながら涙を拭い、1ヶ月ほど経って納品されたものを見てまた滲み……、悲しさは消えないものだけど、これでよかったのだと今なら、思える。
撮影の質や技術は拙くとやかく言えるレベルにないが、今までで一番想いがこもった一作だ。
残せなかった骨のかわりに仏壇に入ってもらった。
そして何が変わったか。
- やたら朝早く 口元を舐めに来るやつがいなくなった。
- メシどきに邪魔なほどお手をするやつがいなくなった。
- 冬に布団や椅子の後ろでまるくなって暖をくれるやつがいなくなった。
- 風呂上がりに膝下を舐めにくるやつがいなくなった(拭けよ)
- 老犬のメシのおこぼれを狙うやつがいなくなった。
- 散歩にいってくれるやつがいなくなった(散歩に連れ出されていたのは自分だった)
今でもふと横を見るとベッドに座して目を合わせてくれるんじゃないかという雰囲気が消えない。
13歳といえばもうじゅうぶんシニアなんだけど、ずっと元気だっただけに急すぎて。あと2年くらいは一緒にいられるものと思っていた。16歳のダックスはそろそろかなと気持ちの整理はできていたんだけど。
唯一無二のパーソナルスペースゼロ同士だったのに、光速より早いスピードでその距離は無限大に達してしまった。
また切った/切れたものもある。
And we became others.
正直 今の感じだと余生での修復は無理だろう。
そして知った/感じたこと。
エンパシーというかシンパシーというか、そういうもののありようを強く感じた。
いいとか悪いとかではなく、知る者が知り 知らない者はふれることができない そのナニか。
そして、憑き物ではないけども自分の中で何かがすとんと落ちた気がする。これもいい悪いではなく”軽くなった”。よくわからないがそれが”執着”というものだったか?
悲しいイベントではあるけども、ふりかえってみればそれまでヤツと自分とのQoL(Quality of Life)はよいものだったと自信を持って言える。先にアガったのは勝ち逃げでずるいよなと思いながらも、このサヨナラで自分の以降のQoLを下げてしまうことはあってはならないと、ようやく冷静に思えるようになってきた。よかった過去の思い出を冒涜するようなこの先ではいけない。
そしてそう思ったときに、以前にもまして生き方のスタンスを意識して時間を過ごすようになった。
”人生も仕事人生も、もう折返しにきていますしね”
そういって脱サラして家業を継いだ取引先の人がいたが、それが今は本当によく染みる。
そして どこに向かうのか。
時間の無駄にはよりいっそうシビアになり、
”中途半端なやさしさは却って残酷だ”
と考える私の振舞いは公私共に よりいっそう冷徹に見えることだろう。
だが それでいいんだ。
QoLを保ち、よくしていくには、まず自分の手のひらの大きさを知り、そこに何を乗せておくかを意識していくことが不器用な私には必要なのだろう。
人生を犬に教えられた令和元年。