京王線聖蹟桜ヶ丘駅の駅メロディがジブリの「耳をすませば」になったとか。
そんなこんなで、いろいろ思いをはせてみる。
1.思い出
思い出なんていうもんじゃないが、学生時代に某コンビニでバイト始めるときに、研修ってことでこの辺行ったことがある。
その帰り道に食べたラーメン屋のニンニクラーメン(いわゆるマー油)が、その当時の自分にとってはものすごく美味しかった。今ほど味の詳細を突っつくような意識でなかったことや、何よりまだまだ学生だったこともあり、今食べるとどうなのかははっきりしないけど、変わっていなければたぶん美味しいと感じるだろう。味ははっきりと覚えてないけども”熱かった”。食べ終わるまで、しっかりと熱かった。ラーメンを多少食べ歩いている人なら、これで通じるだろう。
それほどキレイでもない やや黒貴重の定食屋っぽい造りの店で土手の方に歩いていったと思うのだろうが、今もあるのだろうか。
あとは学生仲間で土手で花見をしたのはいいものの、電車がなくなり寝ていたら凍死しそうな寒さに心身過冷却してしまった思い出くらいだろうか。
もう15年も昔の話である。
2.惜しまれて亡くなった
つい先日ホイットニー・ヒューストンの訃報が流れたわけだが、そのときなぜか、nujabes、ジョン・デンバー、坂本九という名前が頭の中にフッと浮かんだ。 どういう脳内構造ゆえにそうなるのかはここではおいといて、レノンが出てこなかったのはやはり他殺orNotで分かれているのかもしれない。 で、まわりくどくなってしまったが、「耳をすませば」のもとになっている「Country Road」は飛行機事故(たしか自家用だったか?)で突然なくなったジョンデンバーの曲である。 その歌詞は字のごとく望郷をうたったもので、教科書やみんなのうたに取り上げられそうなものなのだが、最近「デジタル=都市」「アナログ=地方」の対比で、「新しいものに傾倒せず、人のつながりなど従来あるよきものも大切にしていこう」のようにも聴こえてしょうがないのである。 そんなことを思う年齢になった。
3.仕掛人
ただただ「へぇそうなんだー」で終わらせることができない性分は正直めんどうだな、と自分でも思う。が、この流れ、どこがどうなってこうなったのだろうと考えてみるとそれはそれで面白い。
発起人は誰なんだろう? 徳間さん、KOさん、地元自治体あたりがすぐに思いつく(ジブリは商売っ気なさそうなのであえてはずした)。ずいぶん前からいわゆる「聖地」として挙げられていたから、話は比較的早く進んだのだと思う。こういった仕事(イベント?)のマッシュアップは、もたらされる結果を考慮すれば、元では発想力と行動力だけなので非常に「いい」。ただ「着想して」「行動に移す」ことができる人がものすごく少なくなってきているんだけども。
今のご時世「案じて産まず」になってきたなと思う今日この頃。
4.地名
そもそも聖蹟桜ヶ丘って名前がものすごい。ローマ公認の奇跡ばりに何某上人が何かをしたのかと思ったら、地名自体はけっこう新しいようである。
出典不明なのだけど、おそらく正しい情報じゃなかろうか。
えらく狭いボールを投げてしまうと、セイシロウさんチックなイメージのする名前だなぁと。
〆
桜があって川があって、台があってベッドタウン。 他は特になにかあるってところでもないけど、その「なささ」がなんとなく個人的にはいいかな、と思う場所である。 暖かい日に車で行って、その周囲を何の目的があるわけでもなく散策する――そんなスタイルが合いそうなところだと個人的には思っている。